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| プロフィール |
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Author:スクナビコナ
千秋真一に23%似ているらしい、兵庫県在住のブロガーです。 ほぼ日刊で更新中。日々の巡回サイトに加えてやってください。
〒激励・感想などはこちら〒 ------------------------- ブロガー名 「スクナビコナ」とは? 日本神話に出てくる 知恵の神様の名前です。 恐れ多い名前ですが、 ブログをする気構えとして、 名乗ることにしました。
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| 役所でもキレる60代、40代 日本は「あの頃」からモラルを学ばずに済むようになった? |
役所で繰り広げられる理不尽なクレーム、暴行、恐喝まで 各地の地方自治体で近年、一部住民からの理不尽な要求や逆恨みによる暴力行為が相次いでいることが、読売新聞の調査で分かりました。
中には自治体職員が住民への対応に堪えられずに体調を崩したり、執拗なクレームの末に現金を脅し取られたりしたケースまでありました。大阪府富田林市で先月30日、60代の男が市への不満から市役所に車で突っ込む事件が起きていますが、いつ深刻なトラブルに発展してもおかしくない状況に、多くの自治体で職員が神経をすり減らしています。
住民からの理不尽な要求に悩む関東地方の市幹部は「話し合う前に、要求がすぐに受け入れられない段階で、キレてしまうケースが増えている」と話します。 また、中国地方の市職員は「窓口で延々とクレームを受けていると、待たされるほかの利用者も市に不満を募らせてしまう。あまりにひどいケースでは警察の協力を得るしかないが、かえって職員が恨まれる恐れもあり、対応が難しい」と実情を打ち明けています。
住民への対応で職員が体調不良 刑事事件になったケースも 東京都と東京23区、道府県庁所在地、政令市の計74自治体に、読売新聞がアンケート調査したところ、6割を超える47自治体が、具体的な事例を挙げて、「一部住民の身勝手な要求で対応に苦慮した」と回答しました。
中部地方の市役所では、昨年初め、「お前らの金で返せ」と中高年の男が窓口で大声を上げました。 この男は、税金の滞納で預金を差し押さえられたことに激昂して、ついには職員らを「包丁で刺すぞ」と脅迫。市側は警察に通報しましたが、男はその間に立ち去りました。
北信越地方では昨年秋、住民の男性から電話で罵声を浴びた市の男性職員が、ストレスから難聴を発症。ある公有地の利用方法を巡り、延々と要求を繰り返された末のことだったといいます。
こうしたクレームの中には、暴力行為などにエスカレートして刑事事件に発展したケースもありました。
高松市役所で今年4月、生活保護の相談に来ていた40代の男が、机にあった鉛筆をつかみ、男性職員の側頭部など2か所に傷付ける暴力行為に出ました。 駆けつけた警察官に傷害の疑いで現行犯逮捕された男は、「入院で減額された生活保護費を増額してほしい」と要求。職員は全国共通の基準に基づいて、「それはできないんです」と説明していたさなかの出来事でした。
関東地方では2006年、市からの封書のあて名に「様」が書いてなかったことに抗議した60代の男から、担当課の職員が現金を脅し取られました。男はその後、戸籍謄本の交付ミスを巡って別の職員にクレームを付けてさらに現金を脅し取り、警察に恐喝容疑で逮捕されました。
病院、学校、役所・・・ 各所でキレる「モンスター」 入院中の治療を補佐してくれている看護師を小間使いのように扱ったり、人工透析を受ける通院先で気に入らない看護師をイジめて辞めさせたりする「モンスター・ペインシャント」。学校や幼稚園・保育所を舞台に、我が子中心のサービスを執拗に求める保護者や、教師による自身への対応が丁寧でなかったとキレる「モンスター・ペアレント」。
その常軌を逸した言動は、単なる「クレーマー」を超えて、もう理解しがたいという意味で「モンスター・○○」という造語を生み出しました。
「モンスター」たちが青春時代を過ごした「あの頃」 「モンスター・○○」が問題視されている世代は、上は60代から下は20代。 60代が青春時代を過ごしたのは東京オリンピックが開かれた、1960年代という高度経済成長のど真ん中。いま子育て世代となっている40〜30代は、バブルの絶頂期を謳歌した世代。そして20代は、こうした世代のジュニアたちです。
まだ役所でも病院でもキレた経験はありませんので自分のことを棚に上げて言いますが、高度経済成長以降、日本は「モラル」を学ばずに済むようになったのではないでしょうか?
スクナビコナが受けた「道徳」の授業 かつての日本には学校教育の中に「修身」という授業がありました。しかし、皇民化教育の一翼を担ったという歴史的事実から、GHQによって停止されました。
スクナビコナが学生の頃、「道徳」という授業がありました。GHQによる「修身」の停止後、戦前回帰が叫ばれて作られた授業ということですが、その内容は児戯に等しかったように思います。 授業は、道徳的なことに触れる短編を読んだ後、「こういう時、どうした方が善いかなぁ?」という教師の問いかけに、児童が一人ひとり考えを述べるあるいは感想文を書くという形が基本でした。そこには、「善い行動って何?」「悪い行動をとってしまうのは何故?」「悪い行動に出そうなとき、どうやったら思い返せる?」といった追求をした記憶はありません。
孔子、孟子が説いた性善説や仁・義・礼・孝・忠、荀子、韓非子が説いた性悪説や法家の思想、老子、荘子が説いた老荘思想は、中学か高校の漢文の授業に出てきたのが最初。高校に「倫理」の授業はありましたが、その思想の深さに分け入ることは無く、大学入試用に重要語句を丸暗記しただけでした。
西洋哲学については、高校へ通う電車の中で読んだ哲学書と、大学で学部に入り「刑法の正義とは何ぞや?」と問われた時にその初級編あたりまで学びました。しかし、諸子百家については、30を前にしてようやく独学で端緒に至ったところです。
「モラルとは、学んで身に付けるもの」 戦後日本の「モラル教育」は、政治問題の中で、大きく立ち遅れたのではないでしょうか? 戦前のモラル教育を担っていた「修身」はGHQによって停止。戦後に作られた「道徳」も、戦前・戦中教育大反対の日教組の下では、科学教育に深められる余地はなかったのでしょう。
そもそも「修身」とは、福澤諭吉・小幡篤次郎などの慶應義塾関係者が、「moral science」を「修身論」と訳して教場に導入したのが始まりです。
どちらの語義から入っても構いませんが、「moral science」と「モラルのサイエンス」とした西洋においても、「修身論」と「身を修めるための論考」とした福澤諭吉たちにおいても、「モラルは、学ぶべきものであり、議論・考察の対象である」と捉えていることがよく分かります。裏を返せば、先人たちは「モラルとは、学ばない限り身に付かないもの」と考えていたわけです。
「モラルは、科学」「モラルは、学ぶもの」「モラルは、考えるもの」 日本のモラル教育は、この辺りからやり直す必要があるのではないでしょうか?
テーマ:気になるニュース - ジャンル:ニュース
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