前置き今回の記事は、軍事分野の研究でも定評のあるジャーナリスト・青山繁晴さんのリポートに基づき、一晩自分なりにも考えたものです。
「イージス艦は、自動操舵を使わない」が世界常識青山繁晴さんによると、「イージス艦を始め、戦闘艦は自動操舵を使わない」というのが世界の常識だということです。
日本において、イージス艦は「護衛艦」と呼ばれていますが、間違いなく戦闘艦です。イージス艦の起源が、共同作戦を行う空母の対空防衛を担う戦闘艦にあることからも明らかです。
戦闘艦において、洋上航海中は常に準臨戦態勢です。なぜなら、いつ(仮想も含めて)敵戦闘編隊がやってくるかも、潜水艦と遭遇するかも、空母をレーダーの端に見つけるかも分からないからです。
戦争状態になかったとしても、対応を誤れば、「誤解が誤解を招いて戦争へ突入」ということもあり得る訳で、戦闘艦は常に緊張感の中にあるのが普通です。従って、「臨機応変な対応が出来る手動操舵」こそ、最良にして唯一の航行方法なのです。
つまり、「あたご」の事件は、
「護衛艦であるにもかかわらず、自動操舵をしていた時点で誤り」なのです。
現役の海上自衛隊艦長の話でも、「護衛艦の自動操舵はあり得ない」「そもそも『自動操舵』という装備自体付けないもの」だと言うことです。「あたご」に自動操舵が付いているのは、「あたご」を建造した三菱重工の「あると便利ですよ」という一言で付けられたのだそうです。それでも、同艦長の話によると、「自動操舵は使わないことになっていた」のだそうです。
戦闘艦は、充分な交代要員を乗せているまた、戦闘艦では、単純洋上移動を含む作戦行動期間中・24時間の警戒態勢が取れるだけの体制、三交代・四交代を可能にする隊員数を配置します。
この事実は、日本の護衛艦の出港時やアメリカ軍空母出港時に、甲板いっぱいに並ぶ隊員数から確認できます。
また、戦争体験を持っておられる漫画家・松本零士先生が書かれた『宇宙戦艦ヤマト』には、艦内ホールいっぱいに並んだ隊員に沖田館長が訓示をする場面が出てきます。
イージス艦の歴史少し、軍事の歴史を加えますと「1隻の戦艦より、100機の戦闘機の方が有効である。なぜなら、戦艦は必ずしも艦砲射撃で撃沈する必要はなく、大量の銃撃で艦橋と砲台を沈黙されれば充分無力化できるからである」という事実を、アメリカ軍は、太平洋戦争における日本帝国海軍との戦闘で学習しました。
このことは、日本側も学習したことであり、対空防衛を整えられずに出港した戦艦「大和」は、アメリカ戦闘機編隊の波状攻撃で沈んでいます。また、GHQがやった施策の中には、「日本における航空機研究の禁止」というものもありました。日本のゼロ戦(零式艦上戦闘機)は、当時の先端戦闘機の1つだったのです。
以来、「キティ・ホーク」「ニミッツ」など、アメリカ軍の主力は戦闘機を載せた空母となりました。しかし、戦闘機の搭載に特化した空母には、対空防衛能力が低いという欠点があります。
この欠点を補う駆逐艦・巡洋艦を経て開発されたのが、イージスシステムの搭載で索敵能力と防空能力を特化させた「イージス艦」です。
イージス艦は「360度、死角のない船」メディアではイージス艦の見張り員が問題になっていますが、イージス艦の目は艦橋(ブリッジ)ではなく、その下にある戦闘指揮所(CIC)です。
このCICには、イージス艦独自のレーダーを駆使し、360度死角なく見張ることができるシステムが存在します。従って、漁船団を「見張り員が2分前に目視した」「目視したのは12分前だった」というのは問題ではなく、この
CICに詰めていた隊員の見落としこそが問題なのです。
艦船のトラブルは全て艦長責任艦船が起こした、艦船で起こったトラブルの責任は、その大小に関係なく全て艦長責任。これは海上における万国共通ルールです。
「あたご」の船渡健艦長が、
昨日の会見(リンク先に全文を掲載)で、「あたごの指揮は私が執っている。監督責任を含めた全体の責任が私にある」と弁明していますが、監督責任云々ではなく、「この事故の全責任は私にある」というのが正解です。
従って、
船渡健艦長は即時、正式に逮捕拘束されるべきです。公正を期するために付け加えますと、同艦長が9日間も親族・国民の前に出てこなかったのは、海上保安庁による捜査方針上、「あたご」艦内で拘置されていたためです。
原因究明を任されている海上保安庁としては、海上保安庁による取調べ以外のところで色々なことを話されることで、原因究明を難しくされることを避けたかったのでしょう。
もっとも、石破防衛相から冬柴国交相(海上保安庁は国交省管轄)に対して、「親族・国民への説明責任を果たすため、艦長に会見をさせてくれ」と要請することも可能でした。そのため、9日間の空白が最適だったかどうかは検証が必要です。
私見としては、親族の方々への謝罪は、逮捕後に保釈を受けて果たすべきことだったと思っています。
しかし、親族の方が「誠心誠意、あやまっていただけた」とのお言葉を出された以上、私としては、事件に対する責任問題ではなく、原因究明に注目をしていく所存です。
海上自衛隊の体質問題海上自衛隊を、このような官僚的弁明をする体質にしてしまったことについて、青山繁晴さんは「国民皆兵」までを視野に入れた大改革が必要だとしています。
しかし、私見では、本当の(文民統制)シビリアンコントロールの実現、つまり、防衛大臣による自衛隊の直接指揮の実現こそが、自衛隊の体質改善の道だと考えています。自衛隊はライン、内局(官僚)はスタッフとす体制への転換です。
私が知る民間組織(私の前職)では、顧客とのトラブルについて、どんなにささいなものでも課長・部長はもちろん、社長にまで届くようになっていました。これが、常に「いつ競合他社に負かされるか分からない」という緊張感を維持している民間企業の姿です。
部下が何かトラブルを起こしたということは、その部下の手に余る事態が起こったということです。従って、即時、その部下より能力が高い上司、課長や部長がその対応方法を指導する、場合によっては直接課長・部長が対処するのが普通でした。部長でも判断に迷う場合には、社長への直接相談も当たり前。「トラブル対応は、トップダウン」が当然でした。
自衛隊は数十万人を要する大規模組織ですから、そのままの応用は無理でしょう。
しかし、少なくとも「あたご」が事件を起こした時点、遅くとも10分以内に、直接大臣、少なくとも大臣官房に一報を入れる体制への改編が必要だと思います。そこで大臣が艦長を、「何てことをやったんだ!すぐに救助活動を開始し、航海日誌等は現状を保持せよ!」と一括。次の電話で事務次官へ電話を入れて、「トラブルが発生した。海上保安庁に連絡し、内部調査のため内局から2人同伴させて詳細報告せよ!」と大臣が指揮するのがあるべき姿だったのではないでしょうか?
今週末、『明日への遺言』という、B級戦犯として「法戦」を戦い続けた岡田資陸軍中将を描いた映画が公開されます。「日本軍の中将は、どう生きたのか?」観てきたいと思っています。